☆祝☆14回目〜友達に順番をつけないでいようと決めました〜
 こんばんは。本日は、まさかの園子温監督特集。この方の作品を語れずにいられないオクリウサギです。
 13日は朝から4本ぶっ続けで見たけど、二人ともどんどん目が冴えちゃっててね。
 やっぱり行き着くところはアングラ映画な桃色うさぎです。
 まずは『Strange Circus 奇妙なサーカス』。車椅子の謎めいた色気を放つ女流作家の妙子(本名:美津子)が、幼少期に受けた近親相姦をからませて執筆している。しかし、彼女は自分が誰なのか分からなくなっている。それは父親の女になったことが大きな原因。子どもの頃に、総毛立つ世界を知ってしまったから、逃れられない家庭環境・死に近い運命とともに成長した。母親は虐待現場を見ても、まず「女」として、娘に嫉妬するから。美しくも年老いていく母と、幼いがゆえにあやうく、発展途上な娘。そんな生活を送るうちに、美津子自身が母と一体化していく。
 定まらないアイデンティティを抱えている美津子は、もはや自分が何者かわからなくなっている。日に日に病んでいく。だから、どれが現実かさえも判断できない。一歩踏み外すともはや日常生活から脱落しかねないし、その先には色とりどりの甘美なサーカスの世界から構成されている死刑台が待ち受けている。身の毛がよだつ色彩に囲まれた死へのね。
 この作品や、前回の「愛のむきだし」もそうだけど、愛・哲学・血の赤が雨後の筍のように現れてくる。一秒たりとも目が離せない赤い世界が広がってたよ。新人編集者役のいしだ壱成が、後半に胸に秘めた感情や肉体をさらけ出すシーンは、精神が崩壊し、グロテスク。なのに表情は恍惚としてて色っぽい。中性的な美しさが際立っている。洋画ならホラー寄りになってしまうだろうけど、甘美で芸術性の高い非現実世界を作り上げているのには、ただただ息をのむばかり。
 園監督は、見え透いた世界や分かりやすさを追求しないで、観る側に委ねる部分を強弱つけて撮るようなので、それが自分たちの琴線に触れたんだよね。
 お次は『夢の中へ』。32歳の売れない役者 鈴木は、今後の人生の見通しがつかず、欲望の赴くままの自堕落な生活を送っていた。そんなある日彼の下半身に不調が起こる。それが性病なのか何なのかは不明。更にはっきりしない性格で、自分の生き方への不満のために塞ぎの虫にとりつかれたような顔をした鈴木。
 彼は眠っている間に、徐々に夢と現実との区別がつかなくなり、現実の世界と複数の夢の世界を行き来していく。この作品の夢とは現状への不安や不満、欲望、願望にまみれてる。一方では好都合だったり、時にはアンバランスだったり、手も足も出なかったりしている。テーマ曲は井上陽水がつくった「夢の中へ」。主人公も歌ってるよね。何年振りだかに聴いたけど、歌詞が実に奥深い。歌詞に出てくる”探し物”とは目標、自己同一性や、己の自信。絶え間なく探すのを辞めて、命の洗濯をしてみよう。そんなとき、ふっと気づいたり、見つかる。自棄を起こして大声を出すのはとんでもなく愚かなんだ。
 鈴木は夢の中と現実との往復を繰り返すうちに、やっと自分の惑いや非を悟り、正気を取り戻すんだよね。私もいい年なんでね、鈴木に対して身につまされた思いでいっぱいよ。たくさんある人生を選択するのは自分だけ。誰のせいでもない。太く短くか、細く長くか、はたまた行き当たりばったりか。断を下すのはあなただからね。人生は他人任せではないということ。
 そういえばキャストも魅力的。田中哲司さん、温水洋一さんや村上淳さん、市川実日子さん、オダギリジョー、まだまだ個性際立つ方がたくさん出てたけど、お互いが共食いをしないで伸び伸びと演じてるのはお見事でした。狭い路地を事故を起こすことなくスイスイと進んでいくようなドライバーたちなのよ、皆さん。
 さあさあ、三つ目は『紀子の食卓』。これは『自殺サークル』の続編らしいね。豊川市に住んでいる紀子は、純粋でありながらも意地っ張りな女子高生。まだ擦れてなんかいないけど、自己観察できる17歳の女の子。父親のような井の中の蛙で毎日を過ごすことに違和感をずっと持っていた。ある日、”廃墟ドットコム”というネットを通じて知り合った人を頼って上京したいと父親に相談すると、彼女の意志を知ることなく他に理由を付けて反対する。それに我慢できなくなった紀子はネットで知り合った”上野54”のいる東京へ家出。心の隙間を埋めたい人の元へ虚構の家族として派遣される”レンタル家族”の役割を担う。程なく、紀子の妹ユカも同様、紀子と同様、虚構の世界へ。
 残された両親と家出した姉妹。傍から見れば「そんなことで家出なんて・・・」と思うかもしれないだろう。でもね、”家族の一員”という責任や世間体、プレッシャーを背負い、いい人を演じてるのは、数えるだけでも十指に余るかもしれない。
 この作品の中で、「あなたはあなたの関係者ですか?」と問いかけられるが、はっと気づいたら、それは廃墟ドットコムへの入り口まで来てるかもしれない。もし思うものが見つからなければ、既に虚構の輪の中に入っているかもしれない。家族全員それぞれの役割を演じてるだけで、ほんとは何一つ知らないのに知った気になっていないか?今、男性の育休は話題になっている。男は働くもの、それは太古の昔からそうだった。昔は物の貸し借りや物々交換なんかもあったけれども、今は”家族”という空間に閉じ込められている。もう知らないでは済まされない。見てるだけでは何の知識にもならない。子どもは親が思っている以上に親を見ている。そして正確に把握している。親も子も、そうでない人も、理想を演じてるだけのただの操り人形になると、ちっぽけな絆とやらはいとも簡単に切れてしまうのかもしれない。家族の在り方なんて実はこれっぽっちも考えていない人、最悪の事態になる前に視野を広くもってほしい。己が己に気づくのはいつだって遅すぎるくらいだから。
 自分はまだ『自殺サークル』を観てないから、これと併せてみるともっとわかりやすいよね。
 ラストは『気球クラブ、その後』。大学時代にちょっとしか活動してなくて、卒業して5年たった元サークル部員達のもとへ、疎遠となった元部員の一人が事故死したとの連絡が入る。居ても立っても居られない人や、無関心やめんどくさそうにする人もいつつ、それを機に、村上を偲ぶためもう一度みんなが集結する。
 気球のバルーンは大きいように思ってたけれども、その大きさは大したことないんだよ。ほら、同じグループと遊んでばかりいると、身の回りだけが世間だと勘違いしてしまう。からっぽでちゃちなエンタテイメントでしかないんだからさ。そのくらいの大きさ。社会に出ると、もう一日の流れに乗っかっていくのだけれど、馬鹿騒ぎした青春時代を引きずっている。あの頃は合うか合わないかで友達に優先順位をつけたり、気になる人にもったいぶった態度をとったり、好きに行動できた。バルーンみたいにちょっとした穴(気まずさ)ですぐにバラバラになる関係だからこそ、自由奔放な学生生活があのメンバーたちにはできた。
 青春時代は何十年も続くとは思わないのよ。みんな大人になっていくから。仕事をしたり、家庭を持ったり。青春との別れは即ち楽しいことだらけだった日々に別れを告げること。それぞれが自分の人生を歩むこと。分かっていても誰かがしないと何もできない人がいるのは情けないね。頼りないのは男も女もそう。最後の馬鹿騒ぎをした後、みんなが付かず離れずの未熟さを脱ぎ捨てた顔つきになったから、とてもほっとしたわよ。
 あと、美津子役を演じた永作博美。あの方の演技力は底知れないと思ってたけど、やっぱりここでもひときわ目立ってたわねえ。優しく見守ったり、寂しく思ったり、男の欲望を見透かしてたり。美津子は亡くなった村上を一途に思っていたのが、とあるシーンでわかるけど、あれには大きくうなずいたから。
 昨日は朝の10時から途中休憩をはさみつつ、19時13分まで堪能したねえ。桃さんは洋画がいいって言ったけど、それは無理!
 園監督の映画が素晴らしかったのよねえ。男同士の嫉妬は性欲を満たせない不満や見た目の差が原因だったり、女同士の嫉妬は頭のてっぺんからつま先までどころか、態度や性格まで隈なくあら捜しする。そうそうそうなのよと納得することが多かったわ。
 なぜだか登場人物に必ず「みつこ」が出てくるのはなぜだろう?桃さん!
 気になるならネットで調べなさいよ。
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